
2006年も残すところあと6時間と少し・・、今年も大変お世話になり、本当にありがとうございました。今、家にもどりPCにむかっていると、今年あったいろいろなことが思い起こされ、それなりの感慨が押し寄せてきます。 ひとつひとつの事柄を言うことは控えますが、一言でいうと・・何度もくじけそうになった1年だったように思えます。 そのたびごとに、何とか何とかと思いながら歩んできた2006年がもうすぐ終わりますが、来る2007年がまさにイイ年になることを期待して止みません。 ふるさとの行く末を真摯に考え、そしてこれからも言い続けなければならないと思っている・・大晦日です。 来年も宜しくお願いします。 松森俊逸
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「もうすぐ、また歳が減るねぇ~・・」と、市場の70代になるとおぼしきオカミさんたちが大きな声で話してた。元気いっぱいのオカミさんたちにしてみれば、今以上に年齢を重ねないよと言わんばかりの、お茶目な抵抗なんだろうと、背中越しの会話に思わず可笑しくなった。 普段はあまり足を向けることのない市場だが、小ぶりな門松をさがしに出掛けてみたが、年の瀬の喧騒は思った以上に心地よく、行き交う人たちの表情も何となくではあるが、新年を迎える晴れ晴れしさを感じるほどだった。 ここのところ、毎日毎日・・忘年会に呼ばれて多少疲れ気味なのだが・・気付いた事がひとつあった。 それは、忘年会に出る前に、この1年を振り返り、忘れたい事と覚えておく事をきちんと整理した方がいいんじゃないかなってこと。 いつものことながら、そのへんがあやふやなため、忘年会という言葉を聞くたびに消化不良を起こしている。 もちろん、個々の忘年会を指してる訳じゃなく、僕自身の心の機微の問題なんだけど・・。 皆さんはいかがお過ごしですか?もう忘れることは忘れて、すっきりして新年を迎える準備は整っているんでしょうか。 僕の場合、忘れたいと思うことがあまりに多すぎて・・まだ整理が出来ずにいる今日この頃である。
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先日、6年生になる次男の運動会に、これが最後と思い夫婦そろって行ってきた。今にも雨がこぼれそうな肌寒いあいにくの天気ではあったが、久しぶりにビデオカメラ片手に楽しい時を過ごせた気がする。 それというのも・・全員参加のプログラムはもちろんのこと、徒競走にリレーの選手、騎馬戦の大将役にマラソン選手、はたまた応援団など、他の父兄に恐縮するほど、ありとあらゆるプログラムに参加している息子の姿を見ることができたからだ。 でも、ようく考えると嬉しい反面、ちょっとだけ複雑な気持ちになった。僕自身のことは棚に上げて、息子たちには小さいころから文武両道を言ってきた。運動会で活躍する次男を目の当たりにして、勉強の方も大活躍してほしいものだと、一瞬だが頭を過ぎった。 ひとつ一つのプログラムが終わるたび、一等賞、二等賞のメダル代わりのリボンを照れながら笑顔で家内と僕に交互に持ってくる息子に、それなりの優しさを感じながら満足している僕は、やはり親バカだろうか。 ほかの子と違い、塾に通うこともなく毎日毎日サッカーだソフトボールだと、スポーツ三昧の学校生活を謳歌しているのを見るにつけ、文武両道が遠のいていくのは仕方のないことなのかもしれないけれど・・。 いつの時代どんなところにも、昼休みの野球やドッチボールそして運動会には、輝く人気者がいたものだ。普段はあまり目立たない存在なのに、遊びやスポーツとなるといきなりスターになる子がいたものだ。 僕の子供時代も例外ではなかった。スポーツ大会になるとやたら目立って活躍するヤツがいて、どうしても歯がたたない。スポーツばっかりで・・と、いつも負け惜しみしていた気がする。 はからずも、我が息子が今そのスターである。「武」だけが秀で出ているのだが、これもいつまで続くやら・・・。 「二兎を追うものは一兎も得ず」・・ということわざがある。 親として、悩みは尽きない。 松森俊逸 (2005.10のメルマガより)
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僕が小学生の頃、住んでた街に思い出せるだけでも映画館が2軒あって、その内の1軒は家の真ん前にあり、なぜか?無料招待券なるものがいつも食器棚の上やおふくろのミシンの引き出しの中にあったのを思い出す。 当然のことながら当時の映画はほとんど観ているし、なかには3日間続けて観たもの(大魔神だったと思う)さえあった。でもだんだんと任侠モノやお色気モノが多くなり・・いつしか廃館となってしまった。 中学2年の夏休み(だったと思う)、どうしても観たい映画があって、ちょっと離れた街まで自転車で一人出掛けたことがある。 「小さな恋のメロディ」・・この映画のことを知ったのは、確か明星とかいう中高生向けの雑誌でだったと思う。付録に付いてくる大きなポスターにメロディが微笑んでいた。 今みたいに本編前の何分間もの予告編なんてない時代。いきなり本編が始まり、あっという間に・・あわてふためく大人たちをよそに、ビージーズのサントラに載って、マークレスター扮するダニエルと、トレイシーハイド扮するメロディが幼い恋にのめり込み、そしてあぶなっかしくも一途な愛に突き進む。 メロディ:「50年ってどのくらいの長さなのかな?」 ダニエル:「休日抜きで150学期だよ」 メロディ:「ねえ、そんなに長い間あたしを愛してくれる?」 ダニエル:「愛するよ。だってもう1週間も愛してる」 級友たちが二人のために結婚式を挙げるのだが、大人たちに邪魔されそうになった二人はトロッコで逃避行に出発する。このラストシーンは僕の心に今でもさわやかに残っている。 時が過ぎ大学3年(だったと思う)の夏休み、中2の男子の家庭教師をしていたバイト先で、親から一緒に映画に行ってほしいと頼まれて、映画鑑賞もバイトにカウントするとの申し出に、ラッキーとばかりに出掛けた映画が奇遇にもメロディフェアだった。 母親が言うには、父親がチケットを買ってきたのだけれど・・と、あまり観たい映画ではなかったらしい。 今にして思えば・・創られた台詞、創られた映像だったかもしれないけれど、日本中の男の子はみ~んながトレイシーハイドに恋していた。自分がダニエルになりきって、来る日も来る日もメロディと一緒にいることを夢見ていたような気がしてならない。 現在まで不思議なことに・・映画の話になっても、女性の口からメロディフェアの話題を聞いたことが一度もない。それと・・この映画がヒットしたのは日本だけだったらしいということも、ず~っと後になって人から聞いた。 世界中で・・・、「純愛」を夢見ることができるのは、日本男児だけなのかもしれないと、ふと・・思った。 松森俊逸 (2005.9のメルマガより)
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先般息子の授業参観に行ってきた。週末ということで、結構な数の父親が子供たちの授業の様子に見入っていた。 息子の担任の授業まではかならずいて!と、家内に言われていたので、結局4時限目まで参観することになってしまった・・のだが、熱心な父親と思われたのか、先生方との懇談会にも参加することになってしまった。 懇談会のテーマ「ゆとり教育のめざすもの」についての意見交換が始まった。すぐに様々な意見が出され、親たちはこんなにまで危機感を募らせているのかと驚かされる興味深いやりとりが交わされた。 ある父親が、「たとえば、円周率3.14を3と教えることで何か教えやすいとか、ゆとりができたとか感じることはあるのか?」と発言すると・・算数担当の教師が「まったく変化はありません。円周率という言葉こそ使いませんが・・(中略)・・子供たちは円周が円の直径の3倍より長いことを知ってますから、かえってその差をどうして無視するのかを消化できず混乱します。」と言った。 さらにその教師は「算数の基本は加減乗除であり、数の概念は全て面積に置き換えられる。将来、微積分や平方根などを勉強するようになったとき、小数点以下を省く整数のみでの対応は不可能で、仮にこのことをゆとり教育だとするならば、混乱は更に広がり・・(中略)・・社会制度そのものも成り立たなくなるはずだ。」と解説してみせた。 ついこの前まで、ゆとり教育(という言葉)が持てはやされ週休2日が浸透し、土曜日には今までにはない多くのプログラムが実施された。ある地域では高齢者たちが子供たちに昔の遊びなどを教え、そのことがマスコミで大きく取り上げられたりしていた。 懇談会の終りに算数の教師が語ったことが印象的だった。 「私たちが日常的に使うお金の最小単位は1円ですが、株式市場や為替で使われる最小単位は、実際には流通していない1銭です。この実在しない100分の1円が経済を支えています。よって、せめて少数点以下2位までは理解しておく必要があるんです。」・・ 「大ざっぱでいい数字は世の中で一つだけ、それは割り勘する時だけです。まとめて会計をする人に多く出させないようにする割り算です・・。」 大きな拍手の中、懇談会は締めくくられたのだが・・、僕は別のことを考えていた。 普段の活動の中で、宴会や会食は日常茶飯事であるのだが、割り勘やご馳走になることは滅多にない。 本心を言うと、せめて割り勘ならどんなにいいだろうと思ったことも数多くあるのだが・・・。 √3=1.7320508・・ 人並みにおごれや! 松森俊逸 (去年12月のメルマガの再掲)
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もうすぐクリスマス、クリスチャンの人たちもそうでない人たちも、いろんな思いを胸にいだきイヴを過ごすことだろう。昔々いつの頃からか、サンタクロースの存在は信じなくなったけれど・・クリスマスはプレゼントがもらえる日ということで楽しみなことに変わりはなかった。 大きくなると、家族で過ごすクリスマスから友達同士で過ごすクリスマス。そして、好きな人と過ごすクリスマスに変わっていった。つい最近までは、自分が子供達のためにサンタになるクリスマス。少しずつ変わってはいるけれど、笑顔が集まる楽しい日には変わりなく、クリスマスは優しい気持ちになれる日である。 かなり昔のことだが、息子の通っていた弘前にある幼稚園でイヴ礼拝に参加したことがあった。初めての経験で、聖歌隊の歌声に感動したものだったが、僕は当時、クリスマスキャロルと言えばクリスマス聖歌のことで、「聖しこの夜」や「もろびとこぞりて」などのことだと思っていた。しかし、その夜は聖歌だけではなく(後で知ったのだが)、英国作家ディッケンズの短編「クリスマス・キャロル」の劇も見ることができた。 強欲で守銭奴エゴイストの商人スクルージが、かつての友人マーレイの亡霊の訪問を受け、金銭欲や物欲に取り付かれた人間がいかに悲惨な運命となるか、自分自身を例にしてスクルージをさとし、スクルージが悲惨な結末を回避し、新しい人生へと生き方を変えるため、三人の精霊がこれから彼の前に出現すると伝える。 ベッドについたスクルージは、過去、現在、未来、三人のクリスマスの精霊から夢うつつの中で・・・過去の精霊は、スクルージが忘れ去った少年時代に彼を引き戻し、孤独のなかで、しかし夢を持っていた時代を目の当たりに見せる。 現在の精霊は、貧しいなか、しかし明るい家庭を築いて、ささやかな愛で結ばれたクラチットの家族の情景を示す。 不気味な第三の精霊・未来のクリスマスの精霊は、未来のクリスマスにはスクルージの姿がないことを示す。シーツに包まれ無惨な死体と化した自身の姿を見たスクルージは、金銭欲・物欲が、いかに人間を恐ろしい姿に変えるのかを知るのである。スクルージは激しい衝撃に襲われるのだが、夜明けと共に、彼が経験した悪夢のような未来が、まだ変えることができる可能性があることを知る。スクルージは、人間愛の重要さに目覚め、人を愛し、人のために尽くすことの重要さを自覚する。 1843年12月、160年前にイギリスで出版された物語である。1853年江戸時代、黒船ペリーが浦賀に来た10年も前に出版された「クリスマス・キャロル」を思い起こす時、この物語が発するメッセージが未だ色あせず、多くの人たちの心を揺さぶり続けていることに感慨を覚える。 さぁ・・今年のイヴ、皆さんの枕元に・・未来のクリスマスの精霊は、どんなメッセージをたずさえ訪れるのでしょうか。願わくは、家族と穏やかに過ごす、未来の自分がいることを信じて止まないのは・・、僕だけではないと思う。 でも、こんなことを書いてる時でも(悲しいかな)頭の隅に、もっと票がほしいな・・・と思っている僕がいる。 票・・、果たしてこれも物欲だろうか? 松森俊逸 (去年12月のメルマガの再掲)
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一人でも多くの方に支持を得ようと思えば、なるべく多くの人達に自分の実績や思ってることを伝えなければならない。このサイトもその一つなのだが、基本的には後援会員の名簿を集め、会報を郵送したり集会を開催したりする。 そんな時、特に気遣うことは、支持者に対する自分のイメージづくりである。いろんな印刷物などにキャッチコピーやカラーなどで統一を持たせたり、好感度がアップする話題や立ち振る舞いを心掛けようとするのだが・・。前者は相応の企画力で何とかカバーできるのだが、少ないスタッフや印刷業者に頼んでもピンとくるものは望めないし、後者は自身の素養ではなかなか難しい。せめて中身で勝負と、ガンバってる今日この頃・・である。
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