≪私の主張 2007.11.14≫ 板柳町は身の丈に合った国際交流をすべきである。

板柳町が北京市昌平区と友好協定を結んだことが11日の地元紙に載っていた。
記事の内容では来年が協定締結15周年になるとの事だったが、このようなことを知るたびに本当に違和感を覚える。

私が収入役として板柳町役場にいた時、もう既に昌平区(当時は昌平県)との交流は既定路線を進んでいたので、ことの発端がどうだったのかを知る由もない。
昌平区から来る代表団を成田まで迎えに行き、板柳町まで連れて来ては御座なりの視察をし、夜な夜な熱烈歓迎のセレモニーを重ねるのだが、何と!当時は日本滞在中約半分は札幌や東京などの視察(観光?)に当てられ、全ての国内滞在費用は板柳町側で負担するものだったが、詳細の記憶は薄れたがかなりの出費だったと思い出す。

板柳町が昌平区と交流する動機になったのは、外国人研修制度を利用したりんご農家の労働力確保だったと、町内関係者から聞いたことがある。
一時期は研修生として中国人の方々が、農家に1年間ホームスティしながら農作業をサポートしたとのことだったが、帰国した彼らのほとんどは滞在中に得た収入を資金に他の事業に身を投じているとも聞いた。

板柳町から人材を派遣し、恒常的にりんご栽培技術を昌平区へ移転したが、そのことに町内の多くのりんご農家から危惧の声が上がったが、農協や関係者たちを町が昌平区視察に連れて行くことを繰り返すと、徐々にそれも収まってしまうのには当時不思議に思ったものだ。

町のお金で中国旅行して、毎夜カンペー(乾杯)なら批判できなくなったと、当時、りんご栽培の技術移転に反対をしていた農家のある人から赤裸々に話を聞いたことがある。

昌平区にあった(とされる)観光りんご園の入り口に門を造りたいと昌平区側から無心され、当時の町長は現金数百万円を持参したし、ふるさとセンターの資料収集名目で、昌平区の関係者に対し数年にわたって、調査委託費数百万円を提供し、併せて高額な機材を貸与したこともある。

町の予算を多額に掛けた昌平区の観光りんご園は今どうなっているのだろうか?
多額の血税を投じて調査した成果はどうなったのか?貸与した機材はどうなったのか?

先月11日に、昌平区でりんごを扱う巨大なテーマパークの起工式があったそうだ。サッカー場が65面も取れる広大な敷地だと報じられている。
(記事) http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1011&f=business_1011_019.shtml

昌平区の方がずっと我々よりしたたかでスゴイということに気付いてほしいものだ。

【昌平区の概要】 人口60万人、面積1352平方キロ。果樹栽培等の農業のほか、明十三陵、長城を活用した観光業が発展している。  政府機構としては、正県長1名、副県長7名の下にテレビ放送局、文化局、体育委員会、衛生局、教育局、計画生育委員会等40の部署があり、公務員数は1,029名。 98年度決算では、歳入4.65億元で内訳は営業税40%、企業所得税30%、個人所得税30%。歳出は4.0億元で、教育30%、農業20%、科学技術15%、その他工業、市政、給与等。  (1999年12月には昌平県から北京市昌平区に昇格になった。)

人口は青森市が2つ分、予算歳入は日本円で約70億円弱(1元≒15円)、物価スライドすると1,400億円の都市が昌平区なのだ。

国際交流を決して否定するつもりはない。 しかし、時代に即した身の丈に合った交流にスイッチすべきではないだろうか!

財政が窮乏し、地域が疲弊してもなおこの交流を続けるならば、そこには何かあるのでは?と疑念を懐かざるを得なくなる。 町が背伸びして与え続けているとしか見えない交流が、実は見えないところで甘い汁をすすっている人間がいるのではと!

松森俊逸