議会の民意と首長の民意(08/6/23)。

私にとって民意とは、狭義には支持者個々の具体的考えであり私自身に直接要求されるの考えでもある。 また、広義には具体的輪郭は薄れるが、町全体に滲む世論とでも言うべきものと解している。

私はそんな民意に対してどのように臨みそして寄り添うのかを常に自問している。

議会と首長との関係について、強大な権限を有する首長を議会が監視、牽制する関係が基本であり、双方の交わりによって政治的対話や妥協プロセスが、地域住民に議会の審議を通じて明白になり、加えて民主的に地域社会において住民の政治意識が高ずることが期待される。

また、議会と首長は選ばれ方の違いにより、民意の捉え方も異なっているものと思う。 議員は複数であり各地域や数々の利益集団から選出される言わば・・特定の支持者の代表・・という性格を持っているため、その議員たちによって構成される議会は、地域社会の利害調整を行う機能を有していることが多い。 他方首長は地域社会の全有権者から直接選ばれる・・全住民の代表・・でありその意志を統合する機能を果たすという意識が強い。

このことから議会と首長は異なる機能を持っているため、双方の意思が常に一致するということはなく、首長が住民との直接対話等を通じて議会と違った方向性で政策を進めると、必ず持ち出されるのは議会と首長の車の両輪論や議会軽視批判である。

私はかねてより、この車の両輪論について否定的な考察をしている。 前述したように、議会は首長を監視牽制することが一番大切な役割だと自覚するならば、車に例えられる首長に対し議会はブレーキという制御機器に例えるのが妥当だという思いが強いからだ。

なぜなら、残念ながら、末端自治体の議会に条例などを自発的に立案できる能力が希少だからに他ならない。 要は首長が推進しようとする間違った政策に関わる議案等を止めたり制御することこそが、議会の成す重要な機能だと思うからだ。

さらにそれらの動静が住民の前に明らかにされることで地域住民は問題の所在を認識し、議会と首長の優劣を判断できる機会を持てることになるのである。 その結果、地域に密接に関係する政策が必要に応じて修正されたり休止されたりする。 こうした地方自治の実現こそが、議会と首長が本来求められている姿だと確信する。

果たして板柳町の現状はどうだろうか!?

議会と首長の意思は常に一致しなければならないという感が強く、与野党色分けされた議会は、大方が車の両輪論に立った事前調整型とも言うべき、議会対策を最優先にした密室的とも取られかねない町政運営がなされているように思える。

議会は町民の眼前で議員個々の主張を交錯させることが重要なのではないだろうか。 いくら町民のためと考えても、町民の目に届かないところで調整妥協しても、それは自らの存在を否定しているがごとくの行動原理にしか思えないのだが・・・。

決して、民意を見誤ってはならない。

松森俊逸 08.6.23